個展「習い性となり 躓く」についてのインタビュー記事(前編)

渡邉元貴 Motoki WATANABE

2001年生まれ、愛媛県今治市出身。 愛媛大学法文学部で芸術学を専攻し、クイア・スタディーズと社会学の知見を中心的に学ぶ。2024年度からは、東京藝術大学美術研究科グローバルアートプラクティス専攻に在籍予定。 映像やインスタレーション、パフォーマンスなどから、ジェンダーや関係性における規範と逸脱のあわいに顕れるゆらぎを語りや身体から捉える制作を行う。あと、玉子豆腐が好き。 Motoki Watanabe Born in 2001, in Imabari City, Ehime Prefecture. I majored in Art Studies at Ehime University, Faculty of Law and Literature, mainly focusing on queer studies and sociology. I will be enrolled in Global Art Practice, Graduate School of Fine Arts, Tokyo University of the Arts from the 2024 academic year. Through video, installation, and performance with narrative and body, I have created works which capture the waverings that emerge between norms and deviations in genders and relationships. Also, I really like “tamago-tofu”.

ー現在、愛媛大学法文学部の4年生に所属していらっしゃると思いますが、大学生の間に創作活動を始めようと思ったきっかけは何ですか?

作品創作を始めたのは大学3年生の時です。大学で今井ミカさんの『虹色の朝が来るまで』の上映会を企画したことがきっかけになりました。この映画は、「聴覚障害」「性的マイノリティ」をテーマにしています。なので、上映における十分なアクセシビリティを整えることを強く意識することになりました。例えば、聴覚障害の方のために、手話通訳を依頼しますが、すべての方が手話を使えるわけではないので、文字通訳も必要になります。通訳者の人の中でも、セクシャルマイノリティに対して理解がある人かどうか考えなければいけなかったりしました。結果として、上映会自体も、そのために準備することも、自分自身にとって、すごく意義のある時間でした。ただ、同時に、映画を見て、それについて話すだけでは捉えきれないことがたくさんあるとも思いました。その時に、作品制作をやってみようかなって思ったんです。

ー初めての作品はどういったものだったんですか?

その直後に企画したのが、『禍福は巻かれる卵の如し』という卵焼きを作って食べるという参加型のワークショップでした。上映会を経て、人と人がお互いのことを理解するのに、言語だけでは不十分ではないかという疑問が深まって、言語以外で意思疎通や感覚の共有をするにはどうすればいいのかという問いから、「味覚」という感覚を出発点にして制作することになりました。

ーどのようなワークショップの内容になったのか教えて頂けますか。

5日間の出来事を元にしたレシピ帳から、禍(塩)福(砂糖)で味付けした卵焼きをつくり、お互いに食べることでシェアするというものでした。共に生きるためには、どのような仕方でわかり合えばいいのだろうかということを考え続けていました。

ーワークショップから得た気付きはありましたか。

このワークショップを企画したときはじめは、ジェンダーの問題を扱っているという意識は強くありませんでした。「色んなジェンダーの人や、年代の人が集まってくれればいいな」くらいに思ってたんです。ただ、実際ワークショップをやってみると卵焼きを作るっていう行為自体が、すごくジェンダーの問題を孕んでいることに気付いたんです。例えば、自分は卵焼きというと、朝ご飯のイメージがあるんですが、参加者の中で、朝ご飯を作っている人の女性の割合がすごく大きかったんです。そうすると卵焼の味付けにも慣れているから、ルールでは、5日間の記録から味付けをしてもらうはずでも、参加してくれていた私のばあちゃんも、塩が多すぎると思うと、勝手に塩を減らしてしまったりしていました。作品という枠組みで、作っていたとしても、相手にまずいと思われたくない、美味しく食べて欲しいという思いを受け取りました。。ジェンダーの枠組だけでは捉えられないけれど、家事とかケアとかに対する向き合い方がやはり、ジェンダーによって全然違うということを再認識しました。

ー最初の作品をワークショップのような参加型のものにしたのはどうしてなんでしょうか。

専門的な芸術創作の教育を受けていないこともあるかもしれないけど、人と人の関係性が生まれていくことに魅力を感じるからだと思います。ある人に、「まずはじめは、プロジェクト型のアートよりも、自己表現をしやすいような、1人で完結できる作品にしたほうがいいのではないか」というアドバイスをもらったことがあります。私はその時、参加型の作品にも、作り手の意識、姿勢がすごく出るんじゃないかなと思ったんです。ただ、アーティストとして参加者とどのように関わるのかについては、もっと自覚的になりたい点で、今後も向き合っていきたいと思っています。

ーそれでは、今回の個展についてお話を聞いていきたいと思います。初めに、この個展のタイトルの由来についてお聞きしたいです。

個展を開催する1年以上前から、個展のタイトルと内容は決めていました。元々のタイトルは「習い性となる」でした。「習い性となる」とは、習慣がその人の性質になっていくという意味ですが、私は、この「性」をセクシュアリティだと考えています。ジェンダーというのは、社会システムの中で構築されていくもので、「男らしさ」や「女らしさ」といった社会通念的なルールが男性と女性を分けていますよね。そして、そのルールに「なんだか合わない」「何かおかしい」と気付いた人たちがマイノリティ、周縁的な存在となっていくのだと思います。この気付きが今回の個展のタイトルにもある「躓き」です。英語で「躓く」を意味する“stumble upon(on)”には、「気付く」という意味もあります。つまり、自分のなかにある歪みのようなものを感じたとき、躓いたとき、それに気付いたということなんです。

ー制作した作品には、「躓く」仕掛けが用意されていたということですか。

はい、今回の個展の作品は全て「何かをしようとしているけれど躓く」仕掛けを意識的に作りました。例えば、《共有された歴史》という作品は、ブラウン管で流される2人がフォークダンスを踊っている映像と、壁に投影された人生の歴史を語る文章で構成されています。映像を見ようとすると文字が読めない、文字を読もうとすると映像が見えない、と意図的に両方を同時に見ることはできないようにしました。こうした、一貫性を持って何かをしようするとできないことが生じるという「躓き」を鑑賞体験の中に組み込みました。自分自身が人はいったいどこで躓くのかということについて、とても興味を持っているからこそ作品化しているのだと思います。何もないところで躓くことはあるけれど、身体がないところで躓くことはないんですよね。

ー今回の個展では、2つの会場で4つの作品を展示していたと思います。会場である愛媛県美術館とPAAC平和通りアートセンターについて教えてください。

今回の個展のために愛媛県美術館の特別展示室を借りることにしたとき、自主展示なので基本的に展示内容は主催者に一任されていて制限されることありません。ただ、管理上の問題として水や火を使うことができなかったり、青少年保護のために性的表現への配慮を求められたりしました。一方で、PAAC平和通りアートセンター(以下、PAAC)は本当に自由やらせてくれる場所で、とても対照的でした。 愛媛県美術館は、松山城下の堀之内公園内に位置しており、同じ公園内には図書館や市民会館があったり、公園の周りには松山市役所や愛媛県庁があるというすごくパブリックな場所です。だからこそ、マジョリティが楽しめるための空間・配置になっているとも思います。私自身は、そこに馴染めなかったのでそれに気付いたけれど、そこにしっかり馴染めてこれた人たちが、この構造に気付くためにはどうすればいいのかということを意識しました。

ー具体的にどのような工夫をしたのでしょうか。

美術館の奥まった場所に位置する特別展示室を選び、暗闇の空間を通らなければ作品が展示されている空間に辿り着けないような導線にしました。また、個展の開催期間を、堀之内公園で行われた「松山を楽しもうキャンペーン2023 キッズふれあいランド」というイベントと重なるように設定し、美術館からPAACに向かうまでの道で読んでもらうための手紙を受付でお渡ししました。会場の移動を含めた鑑賞体験の中で、マジョリティのために作られた街の構造や空間が、マイノリティにとっていかに居心地の悪い世界を構成しているか気付いてもらえないかという仕掛けです。

ー美術館の外で何かイベントが開催されていたことには気が付きましたが、まさか意図的に期間が合わせられていたとは思いませんでした。

でも、これは気付いてもらってもいいし、気付かなくてもいいと思っていたんです。辛い状況にあるんだ!社会は間違っている!と主張することは大事なことなんだけれど、声高に強く言えば言うほど「じゃあ聞きたくないです」とシャッターを降ろしてしまう人もいます。なので、そういう人をスムーズに招き入れるにはどうしたらいいかを考えたときに、単純な仕組みでは無理だと感じました。マジョリティはマイノリティのことを気にしなくても生活できていけるように今の社会や制度はできているので、高圧的に主張を通そうとして耳を塞がれてしまうことを避けるために、いかに自然に話を聞いてもらう空間を作り出すかを考えました。また、アクティブに主張をする、行動をすることはとても大事だけれど、継続していけばそれが当たり前の円の中にいるようになっていくと思うんです。でも、それをマジョリティがどう見ているのかを知らないままでいると、クローズドな活動になってしまうのではないかと思っています。

ーマジョリティ側の視点も否定、排除はしないということですね。

ただ、今言ったことは、私がある意味特権的な立場にいるからこそ言えることだとも思っています。私はおそらくだいぶ大きなネガティブ・ケイパビリティのコンテナを持っていて、今のところは大丈夫だと言える状態だから言えています。だけど、喫緊の問題を抱えている状態の人にとっては、本当に押し付けがましいことになってしまうし、マジョリティの意見、反対派の意見は気にしなくていいと思います。だから、マジョリティの視点も拾おうとする姿勢を美談にしてはいけないと思います。これを美談にしてしまうと、それができない状況にある人たちはとても苦しいし、反対派の意見を聞いて、これが、正しい主張だなんて言われたら本当に辛い。そもそも、マジョリティとマイノリティの関係は対等ではなくて、マイノリティはマジョリティよりも弱い立場にいるのだと理解している必要があります。マイノリティの主張の多くは、マジョリティの影に隠されているのです。

ー展示空間そのものにも、普段隠されていることを可視化していく役割が与えられていたんですね。

そうですね。また、作品の中に散りばめた躓く仕掛けも、自然に話を聞いてもらう空間を作り出すために機能しています。作品を見るためには鑑賞者が能動的に見ようとしなければならない状況を作りだし、隠され、不可視化されていることへ自ら接近することで、自分の意識の外側の話ではなく、内側の話として感じることができるのではないかと考えました。例えば美術館についても、あの場所に展示されなかった作品たちや作家がいたり、アクセシビリティの問題で入れなかったり長時間いられなかった人がいたり、そこにいない人たちのことを想像する必要があると思います。鑑賞体験を通して、パブリックな空間や、普段見えないようにされていることに思いを巡らせるように、2ヶ所の展示場所を移動する鑑賞方法を設定しました。

(後編へつづく)